石田退三

石田退三(いしだ たいぞう)
1888年11月16日、愛知県常滑市生まれ。
経営不振により退任した、豊田喜一郎、豊田利三郎にかわり戦後のトヨタ自動車の建て直しを図り、「トヨタ中興の祖」と呼ばれる。

「服部商店」(現興和)に入社し、上海駐在中に豊田佐吉と出会う。後に豊田紡織(現トヨタ紡織)に入社。
石田はムダをとことん嫌い、無駄なお金を一切使わなかったといわれる。これはトヨタの危機の際に累積赤字が蓄積し銀行に融資を断られたという苦い思い出があり、「自分の城は自分で守れ」と、内部留保をとことん増やして自前で必要な機械などを買うというやり方を行っていた。

本田宗一郎は石田の助言で藤沢武夫という番頭を見つけて本田技研工業を設立する。
松下幸之助は、石田を師と仰ぎ、たびたび松下電器の役員は石田のところに行って話を聞くのが通例となっていた。

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