豊田喜一郎の社長就任、月産台数2000over達成

  • 1940・01 販売店代表者を拳母工場に招待し、「新日本号」を発表
  • 1940・02・05 一般のサービス工場を対象にした巡回講習会・巡回サービスを開始
  • 1940・02・20 天津工場を分離し、北支自動車工業設立
  • 1940・03・08 豊田自動織機製作所、整鋼部を独立させ豊田製鋼を設立(現 愛知製鋼
    【トヨタの自動車増産計画に伴い、豊田自動織機製作所における製鋼事業の比重が高まったため、製鋼部門を分離独立させることになり、製鉄事業法による設立許可を得て、3月8日設立。】
  • 1940・04・15 販売店と共同出資で、傷兵の保護事業として平塚自動車部品製作所設立
  • 1940・09・14 自動車に限定せず学術研究全般の発達に貢献するため(財)豊田理化学研究所設立
  • 1941・01・28 豊田利三郎社長が会長に、豊田喜一郎副社長が社長に就任
  • 1941・02 AE型中型乗用車「新日本号」の生産開始
  • 1941・05・01 工作機会部を分離し、豊田工機設立
    【大量生産に適した専用工作機械を製造するため、工作機械部を分離独立させ、工作機械製造事業法による設立許可を得て、5月1日設立。】
  • 19941・07・21 豊田喜一郎社長、日本自動車製造工業組合理事長に就任
  • 1941・12 戦前最高の月産台数を達成(2066台)
  • 1942・02・01 豊田紡績、豊田押切紡績、中央紡績、内海紡績、協和紡績の合併により、中央紡績設立
  • 1942・02 上海工場を分離し、華中豊田自動車工業設立
  • 1942・03 KB型トラック(GB型を改良)の生産開始
  • 1942・04 LB型トラック(KB型のショートシャシー)の生産開始
  • 1942・06 航空機部発足
  • 1942・10・03 トヨタ病院開院
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