簿記の歴史をさかのぼってみる

簿記の歴史をさかのぼってみる

簿記の歴史は意外と古いのです。

簿記は、ヴェニス地方で商人たちが行っていた記帳法を記述したものです。
1つの取引を借方と貸方に記録する(いわゆる複式簿記)という単純でいて、的確な記録方法ですね。

これが600年以上も前に考え出されていたことに本当に驚かされます!

簿記会計の起源

簿記会計の起源は、紀元前2000年~紀元前1700年頃の、ハンムラビ法典にまでさかのぼります。

現在、確認できるのが古代バビロニアのハンムラビ法典の商法に書かれている記述です。もしかしたら、もっと古いかもしれません。

時代を経て、古代ギリシャで貨幣が造られ、それにより会計記録が記帳されるようになりました。
とても、簡単なものだったようです。

単式簿記から複式簿記へ

「パックス・ロマーナ」といわれる、古代ローマ全盛期において、貿易などが盛んになったのと同時に、会計制度も進化していきました。

このころの会計記録には、現代でも使われている簿記用語が多数確認できるそうです。
このことから、複式簿記がローマ時代に存在していたことが推測されます。

実は、財務諸表の原型といわれるものは、古代ローマ時代にすでにあったと言われています。
もちろん、その頃には複式簿記の考え方はなく、課税のために財産を把握することが目的の物でした。

イタリア商人マルコさんのおはなし

少年マルコは、西暦1347年~西暦1348年にかけてヨーロッパを襲ったペストで家族を失いました。
彼は、自力で頑張りダチニ商会をたちあげます。のちに、ダチニ商会は、超一流の商社に発展します。

しかし、ダチニ商会のマルコさんのすごいところは、そのことではありません。
マルコさんは、簿記会計の進化の過渡期について膨大な資料を後世に残しました。自分の会社が行った経理実務の記録をすべて保管してあったのです。

マルコさんの創ったダチニ商会は、パートナーへ報告するために、1年ごとの財務諸表が作成されていました。

現在では、あたりまえのこの作業、そのころのイタリア・フィレンツェでは違っていました。
元帳を締めるのが、決算のためではなくて、新しい元帳へ記録をうつすときだけだったのだそうです。ダチニ商会が例外だったのです。

とは言っても、決算報告書のような財務諸表の発祥の地は中世イタリアの諸都市と言われています。
商業が発展している国に、簿記会計の進化の種があったのですね。ダチニ商会では、資産と負債の額が調べられ、棚卸を確認し、そこから損益が導かれていたようです。

自社の経営状態を把握していたことが、ダチニ商会が大きくなった理由のひとつかもしれん。財務諸表の体系は19世紀に出来上がったと推測されています。
ちなみに仕訳帳がいつごろできたかは特定できていません。

そして、複式簿記にかかせない「借方・貸方」の起源は、収支の計算と財産受け渡しの計算からのようです。
のちに、投資とその管理に関して、「借方・貸方」の形をシステム化したもようです。
これが、あとあと複式簿記の成り立ちに大きく係ってきます。

マルコさんは真面目で敬虔なクリスチャンでした。
彼の死後、彼の財産は病気で苦しむ人や貧しい人たちのために遺贈されました。
幼くして家族を失った体験がそうさせたのかもしれません。

複式簿記の普及

世界で複式簿記を広く知らしめたのが、ルカ・パチオリ著の「スムマ(大全)」(1494年)でしょう。

内容は当時ヴェネチア商人が利用していた簿記法を詳細に紹介するもので、財産目録の作成、日記帳、仕訳帳における処理、各勘定の取り扱い、決算などの項目についてかなり詳しく記述されています。
まさしくここに書かれた簿記の手法が諸国の簿記の原型となっていくのです。

複式簿記を確立した偉大なる功績だと思います。

日本の簿記

そして日本に西洋式簿記が入ってきたのが明治6年。
その5年後の明治11年には森下岩楠、森島修太郎の2名による共著である「簿記学階梯」、その8年後の明治19年にも海野力太郎による「簿記学起源考」がでています。

では日本で一番最初に西洋式簿記を紹介した書物は何かというと、福沢諭吉による「帳合之法」であると言われています。
ただこれは、アメリカの商業学校の簿記テキストを翻訳しただけのもののようですね。

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