日本電装の設立・台湾へ大型トラック初輸出

1948・01・07 財閥同族支配力排除法の適用を受ける(昭和26年7月10日解除)

1948・02・08 過度経済力集中排除法の指定会社となる(昭和24年1月21日解除)

1948・03・25 労働組合、全日本自動車生産労働組合に加入

1948・04 豊田喜一郎社長、自動車工業会理事・自動車産業経営者連盟理事に就任

1948・08 民生担当重役室、生産担当重役室などに分かれていた最高審議機関を重役室に一本化

1948・08 監査改良室・経営調査室発足

1948・08 SA型小型乗用車の公開運行試験を実施(名古屋~大阪間を急行列車と競争して勝つ)

1948・10 刈谷南工場の電装部門・拳母工場のラジエーター部門を刈谷北工場に移転(刈谷北工場は電装部門に改称)

1948・10 経営調査委員会を改組し、労働組合も含めた経営合理化委員会発足

1948・11・22 自動車生産五か年計画を策定(24年度の実施途中で中止)

1949・02・01 発明考案取扱規則を制定(3月第一回発明考案委員会開催)

1949・03・31 在外資産の約1180万円を損失金として処分

1949・04・29 労働組合、労働組合法の改正に反対して結成後初のストライキを行う

1949・04 豊田喜一郎社長、自動車輸出振興会会長に就任

1949・05 BL型低床式バスの生産開始

1949・06 中川工場の自動車再生部門を閉鎖

1949・07 BS型トラック(BM型のショートシャシー)の生産開始

1949・11 SD型小型乗用車の生産開始

1949・12・16 日本電装・愛知琺瑯を設立
【企業再建整備法に基づく整備計画をたて、大蔵・通産大臣の認可を受けた。これに基づき、電装工場と中川工場の琺瑯鉄器製造部門を分離し、日本電装・愛知琺瑯を設立した。】

1949・12・24 労働組合と、賃金の一割引下げ・人員整理は行わない旨の覚書を締結

1949・12 24行の銀行団より、1億8820万円の融資を受ける

1949・12 統計的品質管理(SQC)を導入

1949・12 沖縄のアメリカ軍向けのトラック100台の競争入札を全量落札
この年、台湾へ大型トラックを初輸出

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