1943・03・29 川崎航空機と共同出資で、東海飛行機設立(現 アイシン精機の前身)
1943・03 AC型乗用車(AA型を改良)の生産開始
1943・05 刈谷工場のゴム部門、国華工業名古屋工場(現 豊田合成の前身)に吸収合併
1943・06 監査改良委員会発足
1943・07 BA型乗用車(AE型を改良)の生産開始
1943・11・03 中央紡績を合併
【紡績業の再編統合という国策に従って同社を合併し、その主力向上(刈谷南・北、中川の各工場)を航空機部門に転用。中央紡績の合併は、トヨタグループの事業の中心を軽工業の繊維から重工業の機械に移すことを意味した。】
1943・11 KC型トラック(KB型の戦時モデル)の生産開始
1943・11 スキ型四輪駆動水陸両用車の生産開始
1943・11 刈谷北工場で航空機用エンジン「ハ-一三甲」の生産開始
1943・12 協豊会発足(従来の協力会が発展的に解消)
1944・01・17 軍需会社に指定される
1944・01 「大型B」高級乗用車の試作完成
1944・07 AK一〇型四輪駆動車の試作完了
1944・07 学徒動員による中学校生徒、陸海軍召集兵入職
1944・12 TR一〇型四トントラクターの試作完成
1945・03・10 空襲により芝浦工場の大半を焼失、大阪出張所全焼(14日)
1945・05 拳母工場の疎開を開始
1945・06 防諜上の措置として、事業所の名称を変更(拳母工場を護国第二〇工場に変更等)
1945・08・14 拳母工場被爆
1945・08・31 トヨタ車体工業設立(現 トヨタ車体)
【刈谷工場は、拳母工場の完成以来ボデーの専業化へと進んだため、分離独立を決定。8月1日に第一回の資本金払い込みを完了したが、登記を完了したのは終戦後の8月31日であった。】
1945・10 拳母工場・芝浦工場の復旧に着手
1945・12・08 民需転換許可される
1945・12・15 互助会設立(現 トヨタ生活協同組合)
1945・12 豊田喜一郎社長、自動車協議会会長に就任